今回は、今やライブで演奏しないことはない、滅火器 Fire EX.の大人気曲《長途夜車 Southbound Night Bus》を紹介します。
この曲は2017年に発売されたベストアルバム『進擊下半場』に新曲として収録された比較的新しい楽曲なのですが、短期間でファンの中での大人気曲となりました。曲調はロックバラード系で、クリーントーンのギター1本にボーカルが掛け合う形で始まるのですが、徐々にバンド隊が合流し、盛り上がりの頂点を迎えると、最後はまたクリーンギター+ボーカルのみで曲が終わる展開となっています。
滅火器 Fire EX.のYouTube上の動画も1,200万回再生と、とてつもない記録を打ち出しています。何よりもファンがこの曲を好きである理由はその歌詞でしょう。今日はその人気を支える歌詞の中身を見ながら、和訳も載せていきたいと思います。
曲解説(全体概要)
この曲は夢に向かって地元を離れ、遠いどこかで奮闘する人々へ向けた曲なのではないかと思います。”遠さ”はそこまで問題ではなく、若い頃に過ごした慣れ親しんだ街(親元や友人)から離れて何かに挑戦することは簡単なことではなく、それでもあなたの挑戦を応援している人がいるということを伝えたいのだと感じました。また曲中には「帰り道」という言葉が出てきますが、これは紆余曲折ある競争社会の中で、苦しい時にあなたを一番理解してくれる人々のもとへ帰る道はあるんだよ、ということを訴えているのではないかと感じました。
この曲は東京で書かれた
公式Youtubeには以下のようなコメントが記されています(日本語訳)
きっと帰る道を探すことができるだろう ~ 楊大正 2月末の東京、翌日はレコーディングの最終日だった。すでに21曲を録り終えたが、まだもう一曲、最後の一曲の詩を書いていなかった。スーパーまでランチとコーヒーを買いに行き、見慣れない街並みを見て、冷え込んだ気候を感じながら、聴き慣れた、でも得意ではない言語で会話をしたそんな時、この異国の地での経験はさながらありふれた僕の生活の一部になっていた。疑わしく思ったのは、僕はそれぞれの場所に属しているし、また属していないとも言えるということだ。
「今日きっとこの曲を完成させる、書き出せなかったら切腹だぞ」と自分自身に言い聞かせた(実際すぐに書き終わったんだけど、、、)
『我一定會找到 回去的路(きっと探し出せる 帰り道を)』このフレーズは真っ先に思い浮かんだ歌詞で旋律だった。大変だったのは、どこへ帰るのかということだった。ある都市、ある状態、またはそれら全てか?ランチ後にペンを走らせ、ソファーの上で焦っていた。いわゆる初心とは曖昧な概念で、最初にビジョンを設定した時に自分自身に取り決めた方向性を意味する。そのビジョンを駆け抜けるのはいばらの道であり、悔しいこと、妥協すること、もちろん幸せなことや寒気に満ち溢れることもある。華やかな世界は絶え間なく変わり続けていて、回り道をすることもある。頭がくらくらしてくることも。初心の適切な形とはどうやって決めるのだろうか。
僕はもう一度ヘッドホンを装着し、すでに完成している編曲を聴いた。当初は2フレーズしか歌詞がなかったけども、直感でORioに2回目のサビの用意をお願いし、そのままアウトロへの進んだ。それはいろいろと迂回することにもう耐えられなくなっていたからだ。目を閉じて一つ一つを聴き、目の前に浮かんだものを書き留めた。それは一本の漆黒の道で、夜を疾走するのは一人の心が疲れ切った放浪者。彼は今まさに前に進んでいる。前に進んで離れることを決め、掴んだ手を離す時、当初の自分にはっきりと問う「僕は誰、僕たちはどこへ行くの?」と。
この曲が完成した時、すでに夜を迎えていた。風呂に入り、翌日この曲が完成することを待って、ベッドに横たわった。眠りにつき、夢の中で19歳の時の自分自身に遭遇した。当時の彼は僕にこう言った「君は僕を失望なんかさせてないよ」。あれは素晴らしい夢だった。
この曲は、遠く故郷を離れた全ての人々へ送りたい。君たちはもともと孤独じゃない。僕たちはついに『帰り道』を見つけるんだ。
我一定會找到,回去的路 ~ 楊大正
https://www.youtube.com/watch?v=c9PEYJdwdwI
2月底的東京,隔天就是錄音的最後一天。
已經錄完了21首歌,我卻還寫不出最後一首的歌詞,
出門到超市買午餐和咖啡,看著異鄉的街道,感受寒冷的天氣,
聽著人們用我熟悉卻不拿手的語言交談,什麼時候開始,
這些異國經驗彷彿已經變成我稀鬆平常『生活』的一部分了。
我疑惑著,我好像屬於每個地方,也好像不再屬於每個地方。
『今天一定要完成這首歌,寫不出來就切腹吧』我對自己說,
(其實我知道我快寫完了…..)
『我一定會找到 回去的路』,這是最先出現的歌詞和旋律
困難的是,我始終想不透這靈感是要我回去哪裡?
一個城市,還是一種狀態,抑或是以上皆是?
午餐後我拿起筆,在沙發上呈現焦慮狀態。
所謂初衷是一個模糊的概念,
意味著最初立下願景的時刻為自己決定的方向,
走向願景的路上,滿是荊棘,
有委屈,有妥協,當然也有幸運和驚喜,
花花世界無時無刻都在改變,此路不通繞了又繞,
頭昏眼花,要怎麼能確定初衷的確切的樣貌呢?
我再一次戴上耳機,聽著早已完成的編曲,
當初雖然只有兩句歌詞,但我直覺性的請宇辰把第二次副歌拿掉,
直接進入尾奏,因為我對各種迂迴早已感到不耐。
閉上眼睛聽了一遍又一遍,浮現眼前的畫面,
是一條漆黑的公路,奔馳在夜間的是一個裝滿心事疲憊的浪人,
他正在前往,前往決定離開,放手一搏的時刻,
向當初的自己問個清楚:『我是誰,我們要去哪裡?』
完成這首歌的時候,已經是午夜,
我洗完澡,躺在床上等待著隔天完成這首歌,
入睡後,我在夢裡遇到19歲的自己,
他跟我說:「你沒有讓我失望」
那是一個好夢。
這首歌獻給所有遠走他鄉的朋友,你們從來不孤獨,
我們,終能找到『返去的路』。
歌詞解説
タイトルの《長途夜車》は夜行バスと言う意味です(辞書には夜行列車とありますが、台湾には夜間走る電車は存在しないので、バスが正当でしょう)。夢に向かって挑戦する人が、競争社会で様々な障壁、紆余曲折を乗り越えていく。そこには孤独や辛いことがたくさん待っていて、出口(解決策)が見つからないどうしようもない時もある。それでもあなたの成功を応援し、待っていてくれる人がいるんだ。孤独と戦いながらも、辛い時には思い出すんだ、『故郷へ帰る道はちゃんとあるんだよ』と。
夜行バスという空間を舞台にしているのは、大都市(台北)へ上京し奮闘する様子から、地元の高雄(滅火器 Fire EX.の出身は高雄なので)へ南下して帰宅する様子を、高速道路を使って表現しているのだと感じました。
『帰り道』という言葉は曲中、曲の最後に出てきますが、この2つが指す『帰り道』は異なる背景を持っていると思います。曲の中盤に出てくる『帰り道』は、上京して何かを成し遂げようとも、いまだにそれが叶わず、成功して故郷に戻る日が一体いつくるのか、という様子を表しているように思います。一方で、最後に出てくる『帰り道』は孤独と戦いながらも、成果は出せていないかもしれないけれども、自分自身を一番理解してくれる人たちの待つ故郷へ帰る様子を指していると思います。
バスに乗りながらも一連の心情を表現している点も注目です。『心配ごとを抱えている=夢に向かって道半ばの様子』、『道を急ぐ車=孤独に耐えかねて故郷へ戻る様子』、『それでも帰り道を見つけられない=まだ成功への道を切り開けていない』、『きっと探し出せるさ、帰り道を=夢に向かってまだまだ邁進できること』、『「でも帰り道は心の中で考えておけよ」、「あなたの成功を待っている」=あなたの成功を応援しているけれども、いつでも帰ってこれるんだよと言う意味』。そして最後の『下車した今、私は帰ってきた人さ=故郷へ到着した様子』で故郷へ到着することとなります。
既出のボーカルSamの言葉にもあるように、『僕たちは孤独ではない』、『帰り道』はあるということからも、《長途夜車》とはまさに『帰り道』のことなのかもしれません。
ちなみに、PVでは少し謎な点がありますのでその点にも触れておきたいと思います。PVは午前3:30に台北駅を出発するのですが、午前6:30の到着シーンもまた台北駅なのです。。。そこまで撮影に凝っていないのかもしれませんが。台北-高雄はバスでは最低でも5時間かかるため、僕の理解では午前3:30はすでにバスが出発して高速道路の上にいる状態なのではないかと思います。(勝手な想像)
それでは歌詞の和訳に進みたいと思います。
歌詞和訳
時間是三點半
sî-kan sī sann tiám puànn
時刻は3時半
南下的長途暝車
lâm-hā ê tn̂g-tôo mê-tshia
南下する夜行バス
路燈的光線
lōo-ting ê kng-suànn
街灯の明かり
伴心事那想那行
phuānn sim-sū ná sióng ná kiânn
心配事と共に進んでいく
講袂出喙的思念
kóng buē tshut-tshuì ê su-liām
言い表せない思い
寫袂入未完的歌
siá buē ji̍p bē uân ê kua
書き終わらない歌
人生是高速公路
lîn-sing sī ko-sok-kong-lōo
人生は高速道路のようなもので
我是趕路的車
guá sī kuánn lōo ê tshia
私は道を急ぐ車さ
想袂起來彼時陣怎樣離開
sióng buē khí-lâi hit-sî-tsūn tsuánn-iūnn lī-khui
あの時なんで離れたのか思い出せない
漂浪的生活漸漸慣勢
phiau-lâng ê sing-ua̍h tsiām-tsiām kuàn-sì
放浪生活もだんだんと慣れてきた
芡天經過遮濟年
khiàn-thinn king-kuè tsiah-tsē-nî
ぼんやりして何年も過ぎ去って
認捌著真濟道理
līn-bat tio̍h tsin tsē tō-lí
たくさんの道理を知ったけど
煞揣無 一條路 轉去
sannh tshuē-bô tsi̍t tiâu lōo tńg-khì
それでも帰り道を見つけられない
看袂著出口佇佗位
khàn buē tio̍h tshut-kháu tī tó-uī
出口はどこにあるのかわからない
我漸漸失去自己
guá tsiām-tsiām sit-khì tsū-kí
段々と自分を見失いそうだ
佇競爭的花花世界
tī kīng-tsing ê hua-hua-sè-kài
競争のある華やかな世界で
轉彎踅角是姑不而將
tńg-uan-se̍h-kak sī koo-put-lî-tsiong
紆余曲折あることは仕方ないことさ
看袂著出口佇佗位
khàn buē tio̍h tshut-kháu tī tó-uī
出口がどこにあるのか見つからない
也毋知該對佗位去
iā m̄ tsai kai tuì tó-uī khì
どこに行けばいいのかもわからない
我只是暫時失去方向
guá tsí-sī tsiām-sî sit-khì hong-hiòng
一時方向を見失ってしまっただけ
我一定會揣著
guá it-tīng ē tshuē-tio̍h
きっと探し出せるさ
轉去的路
tńg-khì ê lōo
帰り道を
港邊的路 陣陣海風
káng-kînn ê lōo tsūn tsūn hái-hong
港付近の道の海風は
吹入 我的夢中
tshue ji̍p guá ê bāng-tiong
私の夢の中にまで吹き込む
是當初 離開彼个下晡
sī tong-shoo lī-khui hit ê ē-poo
離れた時のあの午後のことだ
行你的路 行你的路
kiânn lí ê lōo kiânn lí ê lōo
「あなたの道を進め」 「あなたの道を進め」
你對我講
lí tuì guá kóng
あなたは私にそう言った
但是你愛將轉來的路 囥佇心中
nā sī lí ài tsiong tńg-lâi ê lōo khǹg tī sim-tiong
「でも帰り道は心の中で考えておけよ」
我等你成功
guá tán lí sîng-kong
「あなたの成功を待っている」と
時間是六點半
sî-kan sī sann tiám puànn
時刻は午前6時半
到站的長途暝車
kàu-tsām ê tn̂g-tôo mê-tshia
駅に着く夜行バス
落車的這馬
lo̍h-tshia ê tsit-má
下車した今
我是轉來的人
guá sī tńg-lâi ê lâng
私は帰ってきた人さ
単語解説
暝車 mê-tshia、夜行列車、中国語の夜車
長途 tn̂g-tôo、長距離の
那…那… ná…ná…、…しながら…する、中国語の一邊…一邊…
袂 buē、不の意味
講袂出喙 kóng buē tshut-tshuì、言い表せない、中国語では說不出口
思念 su-liām、心配事、思い
芡天 khiàn-thinn、ぼんやり、中国語では迷糊
遮濟年 tsiah-tsē-nî、ここ数年、中国語の這多年
真濟 tsin tsē、とても多くの、中国語の很多
認捌 līn-bat 認識する
煞 sannh 以外にも、思いがけず、中国語の竟然
揣無 tshuē-bô 見つからない、中国語の找不到
慣勢 kuàn-sì、習慣の意味
花花世界 hua-hua-sè-kài、華やかな世界、成語
轉彎踅角 ńg-uan-se̍h-kak、紆余曲折ある、中国語の拐彎抹角
姑不而將 koo-put-lî-tsiong、どうしようもない、中国語の無可奈何
愛 ài 中国語の要
囥佇 khǹg tī 〜に留める